政府・与党は、中心市街地の活性化を促すために、都市計画法を改正して、郊外への大型商業店舗の出店を規制しようとしていることが報じられている。
確かに、日本に人口は有史以来の減少に転じている。また急激な高齢化社会に直面している。したがって、戦後歩んできた拡大経済成長時代とは異なり、都市のあり方についても発想を転換する必要はある。これからの都市は、「コンパクトシティ」を目指すべきであるかという考え方は、総論としては大きな間違いはない。
人口や、年齢構成に適した身近な利便性とコミュニティが必要なことは事実である。
しかし、今回の論議は「これからの日本の都市はどうあるべきか?」という命題から導かれた答えではないのである。「地方都市において、かつての中心市街地が衰退し、特に商店街が“シャッター通り”と言われるように寂れている。この問題をどう解決するか?」というところから始まっているように思う。
大型店の郊外出店を規制すれば、中心市街地が活性化するなどと考えること自体が、大きな誤りだと思う。いかにも行政的な発想である。
こうした動きは、相も変わらず国会議員が地元で有力者である商業者の票を意識したと思われても仕方がないものである。
とにかく「中心市街地を商業地として活性化せねばならない。」という命題がおかしいのである。この発想は、二つの大きな視点が欠落していると思うのである。
一つは、都市の構造変化と生活者の変化である。
人口がますます都市に集中する中で、長い歴史のある中心市街地は、きわめて限定された場所であって、規模の面で対応できなくなっている。
そして鉄道の発展によって、中心街が駅周辺に移るケースも多く、また新たな道路の開通と車の普及は、新たな生活の中心地を生んでいるのである。
この変化は、きわめて自然な都市構造の変化である。これに逆らってかつての宿場町、門前町から発した中心市街地を「中心」と考えることが誤りである。
これらの場所は、長年人々が交流し、地域コミュニティの中心として発達してきた場所であり、重要な場所である。したがって、モノを売る場所にこだわらず、市民の情報交流場所として十二分に活用の道はあるのである。商業にこだわることがナンセンスである。
二つ目は、消費者の視点である。
「モノ不足」の時代と異なり、今はモノが充足している。
また、ますます「個性の時代」に入り、個人が生活にこだわりを持つようになったのである。かつての少品種を大量生産、大量販売する時代は終わっているのである。
商業者は、より多品種の商品をそろえる必要が生じている。
当然、新しい情報を常に入手して的確に入手し、多品種を賄う広いスペースも必要になる。
もはや消費者は郊外の広い駐車場のSCで、多くの品揃えの中での買い物を望んでいるのである。中小商業者の保護の前に、まず考えるべきことは消費者の利便性である。
自由競争の中で、消費者が郊外より旧市街地のほうが良いという選択をすれば、自然の成り行き中心市街地が栄えるのである。
私は、一昨年経済産業省が主催する中心市街地活性化の委員会に委員として出席したことがある。「既にどうにもならない状態の商店街は、どう転んだところで商店としてはダメなのである。ダメなものはダメと見切りをつけて、余計な税金を投入すべきではない。」と発言したことがある。用途を変えて不動産を考えるべきなのである。
要するに、都市構造の変化や、消費者のニーズに逆行して「法律」をつくればうまくいくなどと考えることがおかしいのである。
過去に「大店法」という既存の商業者を保護する法律のために、日本のSC発展は大きく遅れ、消費者がその利便性、快適性を享受する機会を奪われたのである。
今また同じような過ちを犯そうとしていると思うのである。
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