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「洞爺湖サミット会場」にみるわが国の不動産事情の変遷

いよいよ7月7日から「洞爺湖サミット」がスタートした。
会場は洞爺湖を見下ろす高台にある「ザ・ウィンザーホテル洞爺」である。
既にマスコミに報道されている通り、このホテルはバブルの象徴として建設されたものであり、幾多の変遷を経て脚光を浴びることになったものである。
正に日本における不動産の歴史的な変化を象徴的な一面を示すものとして感慨がある。
報道されている情報は概ね以下のようなものである。

■ 1993年6月  ホテル開業 「エイペックスリゾート洞爺」
※ 開発は北海道の不動産開発会社「カブトデコム」の子会社「エイペックス」
※ 資金の大半は、北海道拓殖銀行が融資。 総工事費は665億円
■ 1997年11月 北海道拓殖銀行経営破綻
■ 1998年3月  エイペックスリゾート破産。 ホテル閉鎖
■ 2002年6月  「ザ・ウィンザーホテル洞爺」 開業
※ セコムグループ傘下「十勝アーバンプロパティーズ」が購入し再開業。 
※ 購入価格は5億円と報じられている。
■ 2008年7月  洞爺湖サミット会場として使用される。


私は、実は1993年の建物が建設される以前に会社の仕事としてこの土地に大いに関わっていた。
正に日本における不動産の歴史的な変化を象徴的な一面を示すものとして特別の感慨を持って今回のサミット会場をみている。
既に時効と思われる部分もあるので、記憶をたどってみると次のような経緯である。

■ 1970年頃 大手企業の関連会社である東京のT不動産会社が広大な原野を買収。
投機目的の不動産需要を見込んで、洞爺湖別荘地造成を開始した。
当時は戦後一貫して上昇を続けた国内の土地は絶対に値下がりをしないという「土地神話」が生きていた。

■ 1973年10月 第1次石油ショック発生。
※ 土地神話が崩壊し不動産需要は一挙に暗転。別荘地事業は不成立となった。
※ 洞爺湖土地は、道路の造成に着手した段階で中止。

■ 1973年12月  T不動産会社が経営悪化に陥る。
※ 直後に私が会社再建メンバーの一人として大手企業から派遣され出向した。
※ 同社で不動産業務全般を担当。 
洞爺湖土地は売却もできずやむなく“塩漬け”とする。

■ 1977年8月  有珠山が噴火し、洞爺湖土地は火山灰で埋まる。
※ 私が現地調査に出向いた時には現地は厚さ10cm以上の灰に覆われて、観光客は皆無。 被害による死者のための地元虻田町の町葬当日であった。
※ この土地は、「致命的であり今後30年は抱えざるを得ない。」と実感した。

■ 1986年 北海道の不動産会社「カブトデコム」から「この土地を譲って欲しい。」 との依頼あ り。
※ 高度成長の頂点(バブルの頂点)とも言うべき時期。
※ 私は偶然に再建されたT不動産会社に再び出向していた。
※ 北海道の不動産会社「カブトデコム」から「この土地を譲って欲しい。」との依頼あり。北海道拓殖銀行がバックにいて、同行からカブトデコムに出向していた人物が窓口になっていたと記憶する。
※ 地価は異常な値上がりを見せていたが、先に石油ショックを経験しているので「需要のない土地に係る事業は危険だ。」と感じていた。
一方、当方にとっては半永久的に「塩漬け」と考えていた土地が売れるという願ってもない話であった。

■ 1987年 T不動産はカブトデコムと売買の基本合意に達した。
※ カブトデコムの説明では、「高級ホテルを建設して中東の王族なども想定して
1口3,000万円程度の会員権を販売することを考えている。」とのことで
あった。
※ 企業人としては凍結された不動産の売却を実現したと言う実績は残ったが、この計画には大きな懸念を感じていた。

私は土地売却の基本合意を得た段階で出向が終わり本社に戻った。
その後の経緯は、前記の通りである。
北海道拓殖銀行もカブトデコムも消滅している。
この建物が、世界から脚光を浴びる舞台に登場することなど誰が予想できただろうか。
日本経済の1ページを身をもって体験した思いである。

                                                        以上

 
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